猟犬・番犬だった犬がペットになったのは平安時代だった?

日本人には、もともと動物と密にふれあうという機会が少なく、ペットを飼うという概念はずっとあとになって出てきたもののようです。 その中で数少ない例外は犬でした。犬は大陸から飼い慣らされた状態で連れてこられ、おもに狩猟などのお供として使われてきました。
縄文時代の馬込貝塚遺跡からは、ていねいに埋葬された犬の骨が発見されていますし、弥生時代の銅鐸には犬が狩りをしている絵が描かれているそうです。また老女とその飼い犬がいっしょに埋葬されていた例もあるようです。(できればそうしたい!)
ですが、弥生時代の地層から出土する犬の骨は頭蓋にキズのあるものが多く、これはどうやら人間が犬を食べていたのではないかと推察されています。
また、『日本書紀』には「国々に犬飼部を置く」という一文があって、これは奈良時代の人々が番犬や猟犬として犬を飼育する役職を設けていたことを示しています。お役所が管理するブリーダーのようなものですね。この時代から、すでにきちんと人に飼われて仕事をする犬と、そうではない野犬のような犬に分かれていたのでしょう。
平安時代に入ると、ようやく犬を愛玩用のペットとして飼うことが 貴族社会の中でブームとして起こってきます。これが真の第1次ペットブームなのかもしれません。『枕草子』や『源氏物語』にも、宮廷の女御たちが猫や犬をペットとして飼っていることを書いたところが登場します。また平安末期に描かれた『信貴山縁起』には、とくに大金持ちでもない ふつうの人の家の中に犬がいる場面もありますから、そのころには 犬のペット化が庶民のレベルでも広まっていったということなのでしょう。