1869年9月20日、明治天皇が京都を出発し東京へ

慶応4年(1868)は9月8日に改元され明治元年となり、その翌年の3月28日、明治天皇江戸城改め東京城に入り、城の中に太政官府を設置します。これを一般に東京遷都としています。
しかし、天皇が京都を捨てるとすればそれは京都の民衆の同意を得ることは難しいものと思われました。
そこで取り敢えず天皇明治元年9月20日江戸に向かい10月13日江戸城入城、ここを東京城と改名する詔を出します。しかし京都市民の思いに応える為この年は12月22日に京都に戻り、28日には一条忠香の娘美子(はるこ,皇后になる以前の名前は寿栄姫)を皇后として立て戊辰戦争で慌ただしい中、祝儀が行われます。
しかし天皇は再び3月7日東京に向かい、結局正式な遷都の布告はなく、「天皇が東京にいる間は太政官も東京に置く」というなんとも玉虫色の宣言がなされただけでした。しかも京都市民に向けて「東国は未開の地であるから度々行幸して教化するが、決して京都を見捨てたりしないので安心するように」というメッセージまで出されます。要するに日本の首都はどうも法的に厳密なことをいうとまだ京都であり、天皇が東京に「滞在」している間だけ、
臨時に東京が首都とみなされるということのようです。
犬友達のパパ・ママに京都出身の人は多いけど、ひょっとすると心の底では「天皇さんと一緒に京都に帰ろ」って思っているかもしれない。