エリザベ−ト、レマン湖畔にて暗殺 

1898年の9月10日(日本時間11日)、オーストリア皇后エリザベートが暗殺された。
大型の男物の懐中時計は、13時45分で止まっていた。エリザベトが昏睡状態に陥った時間だ。時計の鎖にはダイヤ12個をちりばめた小さなクリスタル製の白鳥が下がっていた。 おそらくル−ドヴィヒ二世の贈り物であろう。
ホテル・ボ−・リヴァ−ジュ。皇后が滞在した部屋は何度か改装されており、最後は1977年のことである。現在の部屋番号は119、120号室となっていて、エリザベトのポートレート写真が2枚あるが、特に説明は付いていない。『皇后陛下崩御』恐怖に身のすくんだ皇帝は一瞬立ちつくしていたが、やがて崩れるように椅子に座った。そして、自分にいいきかせるように、無表情な声で言った。「この地上ではあらゆる不幸が私をおそう」
埋葬は17世紀以来の儀典に従って行われた。ハプスブルク家16代皇后の遺骸は、フランシスコ会教会堂の廟に納められ、心臓は結婚式を挙げたアウグスティン教会に、内蔵は金属製の箱に納められ、聖シュテファン大聖堂の地下に納められた。
10年程前、奥方様は念願かなって、このエリザベート妃の足跡をたどる旅行をしたことがある